美濃路七宿のうち「清州宿」
美濃路七宿 のうち清州宿 |
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愛知県清州市清州 尾張国 |
番号 | 由緒地 | 地名 |
美6-01 | 清洲宿本陣址 | 愛知県清須市清洲2丁目 |
美6-02 | 織田信長像 | 愛知県清須市清洲3丁目 |
美6-03 | 清洲城 | 愛知県清須市朝日1丁目 |
美6-04 | 清涼寺 | 愛知県清須市清洲 |
美6-05 | 五条橋 | 愛知県清須市清洲 |
美6-06 | 正覚寺(元須ケ口一里塚の道標) | 愛知県清須市須ケ口 |
美6-07 | 須ケ口一里塚跡 | 愛知県清須市西堀江 |
美6-08 | 新川橋詰ポケットパーク | 愛知県清須市土器野 |
美6-09 | 端正寺の宝塔 | 愛知県清須市土器野 |
美6-10 | 屋根神様 | 愛知県清須市土器野 |
美6-11 | 清須市西枇杷島問屋記念館 | 愛知県清須市西六軒 |
金山駅近く
三叉の道標 愛知県 |
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清須宿 |
宿場の概要 尾張藩領、 宿高 不明、 宿長 19町34間(約2,134m)、 人口 2、545人、 家数 521軒、 旅籠 21軒、 本陣 一軒、 脇本陣 三軒、 問屋場 1ケ所、 稲葉宿から 一里半(約5,9km)(稲葉一里塚) 名古屋宿まで 二里(約7,9km)(須ケ口一里塚・江川一里塚) |
清須宿 清須宿は、慶長七年(1602)清須城下の伝馬町に設けられましたが、慶長15年(1610)の清須越で廃止され、続く大洪水で宿場の廃墟も流失してしまいました。 その後しばらく付近の住民により開墾され、新田村ができかけた元和二年(1616)に、再び幕府により桑名町に清須宿が置かれました。 寛文八年(1668)の火災で、本陣・高札場が焼失すると、宿場は桑名町から神明町に移り、宿役は加宿の小塚町、田中町、伊勢町、内北市場町とともに負担しました。 宿場の長さは、19町34間(約2,134m)でした。 天保十四年(1843)の清須宿(加宿とも)は、家数521軒、人口2,545人、旅籠屋21軒(大3軒・中5軒・小13軒)本陣1軒、脇本陣3軒、問屋場1か所がありました。 本陣は林総兵衛家で、美濃路最大の建坪312坪(約1031u)を誇りましたが、明冶24年(1891)の濃尾地震で焼失しました。 唯一明冶11年の明治天皇の巡幸のさい休息した門が、やや縮小され残っています。 脇本陣は櫛田源兵衛で、他の2軒は不明です。 櫛田家の前には問屋場があり、清涼寺の門前の鍵型の曲がり角が高札場跡です。 清涼寺には、正徳(しょうとく)二年(1712)以来宿場に時を知らせた鐘が保存されています。 神明町の両側は旅籠屋・置屋・茶屋・料理屋などが軒を並べていました。 五条橋近くの川上神社の6月14日の清須天王祭の花火は、清須花火として有名でした。 |
美6-0 清須代官所跡 愛知県稲沢市稲葉町3丁目 |
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長光寺 愛知県稲沢市稲葉町3丁目 |
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亀翁寺 愛知県稲沢市稲葉町3丁目 |
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ねねの生家 愛知県稲沢市稲葉町3丁目 |
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御嶽神社 愛知県一宮市萩原町西御堂 |
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總見寺 愛知県西春日井郡清洲町 |
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辻地蔵堂 愛知県西春日井郡清洲町 |
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迦具豆神社 愛知県西春日井郡清洲町 |
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美6-03 清須城 愛知県西春日井郡清洲町 |
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美6-01 清洲本陣跡 愛知県西春日井郡清洲町 |
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美6-04 清涼寺と札の辻 愛知県西春日井郡清洲町清洲 |
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美6-05 五条橋 愛知県西春日井郡清洲町清洲 |
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金山駅近く
三叉の道標 愛知県 |
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美濃路七宿のうち「清州宿」