美濃路七宿のうち「宮の渡しと宮宿」
美濃路七宿 のうち宮宿 |
愛知県名古屋市熱田区 尾張国 |
番号 | 由緒地 | 地名 |
美ー7-02-01 | 佐屋路の道標 | 名古屋市熱田区新尾頭1丁目 |
美ー7-02-02 | 熱田神宮一の鳥居跡 | 名古屋市熱田区新尾頭2丁目 |
美ー7-02-03 | 断夫山古墳 | 名古屋市熱田区旗屋町1丁目 |
美ー7-02-04 | 源頼朝生誕地(誓願寺) | 名古屋市熱田区白鳥2丁目 |
美ー7-02-05 | 白鳥御陵への道標 | 名古屋市熱田区白鳥2丁目 |
美ー7-02-06 | 熱田神宮 | 名古屋市熱田区神宮1-1-1 |
美ー7-02-07 | 上知我麻神社 | 〃 |
美ー7-02-08 | 美濃路の道標(北側) | 名古屋市熱田区伝馬町1丁目 |
美ー7-02-09 | ほうろく地蔵 | 〃 |
美ー7-02-10 | 熱田魚市場跡 | 名古屋市熱田区木之免町 |
美ー7-02-11 | 美濃路の道標(南側) | 名古屋市熱田区伝馬町1丁目 |
美ー7-02-12 | 宮宿赤本陣址 | 名古屋市熱田区神戸町 |
美ー7-02-13 | 西浜御殿跡 | 名古屋市熱田区内田町 |
美ー7-02-14 | 熱田荘 | 名古屋市熱田区内田町 |
美ー7-02-15 | 裁断橋・姥堂 | 名古屋市熱田区姥町 |
美ー7-02-16 | 七里の渡し跡・常夜灯 | 名古屋市熱田区神戸町 |
金山駅近く
美7-02- 三叉の道標 名古屋市熱田区新尾頭1丁目 |
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美7-02-01 佐屋路の道標 名古屋市熱田区新尾頭1丁目 |
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美7-02-02 熱田神宮第一神門跡碑 名古屋市熱田区新尾頭2丁目 |
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東海道 |
宿場の概要 尾張藩領、 宿高 不明、 人口 10、342人、 家数 2、924軒、 旅籠 248軒、 本陣 二軒、 脇本陣 一軒、 問屋場 1ケ所、 名古屋宿まで 一里半(約5,9km) |
宮(熱田)宿 宮宿(みやのしゅく)は、熱田宿ともいい、熱田神宮を中心に古くから開けた町で、多くの参拝客を集めていました。 江戸時代には桑名への海上七里の渡し場で、脇街道の美濃路と佐屋路への分岐点でもあり、東海道随一の宿場でした。 宮宿内の東海道筋の町並は、東の築出町から伝馬町を西へ進み、突き当りの源太夫社を南に曲がり、渡船場までが11町15間余(約1,227m)ありました。 高札場のあった源太夫社(上知我麻神社ともいい、現在は熱田神宮の境内に移転)から北へ25町17間余(約2,758m)美濃路の街並が続いていました。 天保十四年(1843)の宮宿は、家数2,924軒、人口10,342人、本陣2軒、脇本陣1軒、問屋場1ケ所、旅籠屋248軒でした。 神戸町の赤本陣は、南部新五左衛門が勤め、建坪236坪(約780u)、伝馬町の白本陣は森田八郎左衛門が勤め、建坪176坪(約582u)で、いずれも門構えと玄関がある立派な建物でした。 宮宿では、赤本陣を正本陣としていました。 脇本陣は2軒描かれている絵図もあり、脇本陣代も10軒以上ありました。 桑名宿への海上七里の渡しは、元和二年(1616)に始まったといわれています。 熱田湊の管理は船奉行を兼ねた熱田奉行が行い、その管理下の船番所が不審な旅人や荷物を厳しく監視していました。 船の運航は午前6時から午後6時まででした。 また、船会所が旅人や荷物の船継ぎに当たりました。 |
美7-02-03 断夫山古墳 名古屋市熱田区旗屋町1丁目 |
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美7-02-04 源頼朝出生地 名古屋市熱田区白鳥2丁目 |
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美7-02-05 白鳥御陵碑 名古屋市熱田区白鳥2丁目 |
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美7-02-06 熱田神宮 名古屋市熱田区神宮1-1-1 |
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政秀寺
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美7-02-07源太夫社 名古屋市熱田区神宮1-1-1 |
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美7-02-15 裁断橋・姥堂 名古屋市熱田区姥町 |
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美7-02-09 ほうろく地蔵 名古屋市熱田区伝馬町1丁目 |
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美7-02-11 美濃路道標(南側) 名古屋市熱田区伝馬町1丁目 |
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美7-02-08 美濃路道標(北側) 名古屋市熱田区伝馬町1丁目 |
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美7-02-12 宮宿赤本陣跡 名古屋市熱田区神戸町 |
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美7-02-13 西浜御殿跡 名古屋市熱田区内田町 |
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美7-02-14 熱田荘 名古屋市熱田区内田町 |
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美7-02-10 熱田魚市場跡 名古屋市熱田区木之免町 |
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丹羽家住宅
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美7-02-16 七里の渡し跡 名古屋市熱田区神戸町 |
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美濃路七宿の「宮の渡しと宮宿」