×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

美濃路七宿編のうち「大垣宿(続編)=ミニ奥の細道」

美濃路七宿

のうち大垣宿(続編)

岐阜県大垣市

美濃国

 

美濃路ー1
(大垣宿)へ

美濃路七宿
(目次)へ

美濃路ー2
墨俣宿 へ

美濃路ー1に続き大垣宿内をご案内します。
まず「松尾芭蕉 ミニ奥の細道」から「大垣城下町の史跡」をご案内します。

番号 由緒地 住所


松尾芭蕉・ミニ奥の細道句碑

22か所

大垣城下町の史跡

美1−2-01 大垣藩校敬教堂跡 大垣市東外側町2丁目
美1−2-02 大垣八幡神社 大垣市西外側町1丁目
美1−2-03 戸田氏菩提寺 円通寺 大垣市西外側町1丁目
美1−2-04 飯沼慾斎 邸跡 大垣市俵町

 

松尾芭蕉 ミニ奥の細道

ミニ奥の細道目次

ミニ奥の細道出発点
 JR大垣駅前を東に向かい、200mほどで水門川ふちにある岐
阜町道標(愛宕神社)へ出るので、これをみて「水門川遊歩道四季
の道」たどって約2.2kmの大垣城外堀に沿って「結びの地」まで
が「ミニ奥の細道」です

江戸・千住から大垣・船町まで
  奥の細道は元禄二年(1689)の秋、俳聖・松尾芭蕉は、約5ヶ月で
全行程約2,400kmの漂泊の旅を、ここ大垣で終えました。

蕪村筆「奥の細道絵巻」 (以上資料 大垣教育委員会文化振興課)

 

初. 行春や 鳥啼魚の 目は泪
     (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)

千住(東京都足立区・荒川区)

奥の細道矢立初の句碑
芭蕉は深川の草庵を人に譲り、元禄二年(1689)三月二十七日(陽暦5月16日)早朝隅田川を舟で上り、千住大橋北側(東京都足立区千住橋戸町)のあたりに、上陸したものと思われる。

千じゅと云う所にて、舟をあがれば、前途
三千里のおもひと胸にふさがりて、幻の 
ちまたに、離別の泪をそゝぐ        

行春や鳥啼魚の目は泪  

これを矢立の初として、行道をすゝま    
ず、人々は途中に立ちならびて、後かげの、
みゆる迄はと、見送るなるべし、       

約六百里(1,400k)を経て、八月二十一日(陽暦10月4日)に、 
大垣に到着、長月(9月)六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又
ふねに乗りて、                                

蛤のふたみに別れ行秋ぞ 

此処に有る矢立初め(筆・墨の筆記用具を初めて使う)の句の、   
「行春」に呼応している「行秋」であり、対の句で有名なことは明らかで
有る、                                     
「蛤の」句碑は、この川沿いの「四季の道」を約1300m下った、奥の細道結びの地に、蛤塚として建っている

寄贈  2000年(平成十二年)十二月吉日                  
大垣東ライオンズクラブ

1. あたふたと 青葉若葉の 日の光
    (あたふたと あおばわかばの ひのひかり)

日光(栃木県日光市)

世界遺産の街 日光
 日光国立公園の中心に位置し、豪華絢爛な神社仏閣の人工美と四季折々に変化を見せる自然美との調和が取れた都市として、その名を内外に知られています。                                       

2. 田一枚 植えて立去 柳かな
    (たいちまい うえてたちさる やなぎかな)

遊行柳(栃木県那須町)

道と共に歩んできた湯の町 那須
 那須町は関東と奥州の境に位置し、古代・中世・近世・近現代を通して、北へ伸びる幹線道路が町の歴史を培っ
てきた町です。古代東山道は当町の東に位置し、以来、鎌倉街道・奥州街道・国道4号、そして東北自動車道と「道」は東から西へと移り、その時代を反映するかのように農業を中心とした史跡と伝説の地「伊王野・芦野」や、
観光・レジャーの地「湯本・高原」といった特色ある文化と歴史を作り上げてきました。

3. 世の人の 見付ぬ花や 軒の栗
    (よのひとの みつけぬはなや のきのくり)

須賀川(福島県須賀川市)

             牡丹の町 須賀川
 福島県のほぼ中央に位置し、西に須磨連峰、東に阿武隈地域の山脈を望み、市内中心部を阿武隈川と釈迦堂川がゆったっりと流れる、自然環境に恵まれたまちです。
 また、江戸時代には奥州街道屈指の宿場町として栄え、松尾芭蕉が七泊八日の長逗留をした、歴史と文化の町でもあります。                            

4. 笠嶋は いづこさ月の ぬかり道
    (かさじまは いづこさつきの ぬかりみち)

笠嶋(宮城県名取市)

元気な都市(まち) 名取
 名取市は政令指定都市仙台の南東に位置し、東北最大級を誇る史跡雷神山古墳に象徴されるように古来より、肥沃な土地、気候、風土に恵まれ居住環境に適した、自然と共存できるまちです。                    

5. 夏艸や 兵共が 夢の跡
    (なつくさや つわどもが ゆめのあと)

平泉(岩手県平泉町)

奥州藤原氏が栄華を極めた地 平泉
 岩手県南部に位置する「史都」平泉は平安末期に奥州藤原氏が四代にわたって繁栄した平泉文化の中心地で、中尊寺の金堂をはじめとして、周囲には当時の遺跡が良好に保存されています。                    

6. 蚤虱 馬の尿する 枕もと
    (のみしらみ うまのばりする まくらもと)

封人の家(山形県最上町)

いで湯と清流の里 最上町
 奥州山脈の山々にかこまれ、かっては小国(おぐに)と呼ばれておりました。 赤倉温泉、瀬見温泉、大堀温泉、琵琶の沢温泉の四つの温泉があり、古くから「いで湯の里」として知られておりました。また戦前までは、馬産地としても有名で、現在、町営の「前森牧場」は、乗馬をはじめとした交流施設として整備し、多くの方々に楽しんでいただいております。                                          

7. 涼しさを 我宿にして ねまる也
    (すずしさを わがやどにして ねまるなり)

尾花沢(山形県尾花沢市)

芭蕉十泊の町 尾花沢
 山形県の最北東に位置する「雪とスイカと花笠と芭蕉ゆかりの尾花沢」は、豊かな自然と歴史、文化に支えられ、農業基幹産業に栄えてきました。 今では夏スイカは全国一の生産量を誇り、尾花沢牛は東北一の飼育頭数を数え、全国から脚光を浴びています。                                     

8. 閑さや 岩にしみ入 蝉の声
    (しずかさや いわにしみいる せみのこえ)

立石寺りっしゃくじ(山形県山形市)

最上家緑の城下町 山形
 山形市は、最上家緑の城下町として栄え、東に蔵王、西に月山・朝日連峰をのぞみ、市の中心部には馬見ヶ崎川がながれる緑豊かな田園都市です。 山形城址の霞城公園をはじめ、全国でも有名なリゾート地「蔵王」、芭蕉ゆかりの「山寺立石寺」など数多くの観光名所が点在しています。                                 

9. さみだれを あつめて早し 最上川
    (さみだれを あつめてはやし もがみがわ)

本合海もとあいかい(山形県新庄市)

       詩禅・歴史・現代性が交差する町 新庄
 新庄市は、山形の北部、新庄盆地の中央に位置しています。 四方を山に囲まれ、豪雪地帯としても有名で、その分自然豊かな山紫水明の地です。
 また、歴史ある城下町で、新庄市内にある江戸時代の三つの文化遺産が、国指定の重要文化財(史跡)となっており、二十台もの優雅な山車が練り歩く夏の「新庄まつり」も、二百五十年もの伝統をもつ、全国に誇るまつりです。          

10. 有難や 雪をかほらす 南谷
    (ありがたや ゆきをかほらす みなみだに)

出羽三山(山形市鶴岡市)

             出羽三山の里 羽黒
 羽黒町は、標高1,984mの霊峰月山の麓にあり、米どころ荘内平野の南東に位置し、1,400年余りの歴史を持つ出羽三山を中心とした、山岳信仰・修験の霊場として栄える門前町です。 
 俳聖松尾芭蕉翁も長期滞在し名句を詠みました。

11. 暑き日を 海に入たる 最上川
    (あつきひを うみにいれたる もがみがわ)

酒田(山形県酒田市)

          粋な文化に出会う町 湊・酒田
 日本海海運と最上川船運の要衝として江戸時代より隆盛を極めた港町・酒田。往時を偲ばせる本間家や鎧屋などの豪商の旧宅が今も各所に残るほか、江戸や上方との北前船交易による独特歴史・文化を育んできました。    

12. 荒海や 佐渡によこたふ 天河
    (あらうみや さどによこたふ あまのがわ)

越後(新潟県良寛町)

文人往来、歴史の町 良寛町
 良寛まちは、南北に細長く延びる新潟県の海岸船のほぼ中央に位置し、海岸と丘陵で構成され、反農半漁の町です。 また、江戸時代は、幕府の直轄地天領となり、佐渡金山の荷揚げ港、北前船の発着港として栄えました。
 そのため北国街道の起点の宿場町としても賑わい、妻入りの家が日本一の長さ3.6kmにも連なっていて代官所、船問屋、旅籠、遊郭などが密集していて、越後の正寺経済だけでなく文化の中心でもありました。

13.一家に 遊女も寝たり 萩と月 
  (ひとついへに ゆうじょもねたり はぎとつき)

市振いちぶり(新潟県青海町)

         日本海に夕陽が美しい町 青海(あおみ)
 新潟県の最西端に位置し、北は日本海に面し、西は富山県に接する新潟県の玄関口である青海。町の92lを山岳地帯で占めており、アルプスの北端が日本海になだれ落ちる親不知・子不知は、天下の険として知られています

14.わせの香や 分入右は 有そ海 
    (わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)

那古なご(富山県射水市)

       芭蕉の旅心を誘った海辺の街 しんみなと
 新湊市は、富山県の中央部よりやや西側に面しています。
 古くは万葉の歌人「大伴家持」がその海岸の情景を数多く歌に詠んだ地でもあります。
 芭蕉が訪ねた時代は放生津潟を中心とした田園湖沼地帯でしたが、その潟は掘り下げられて日本海屈指の重要港湾(通称・富山新港)となっており、背後には臨海工業地帯が広がっています。

15. あかあかと 日は難面も 秋の風
    (あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)

金沢(石川県金沢市)

           加賀百万石の城下町 金沢
 金沢は前田利家公の入城以来、四百年の永きにわたり戦禍をまぬがれ、歴史や伝統を育み、学術・文化を中心に発展してきました。
 この間生まれた、芸能や工芸などの伝統文化は金沢の大切な財産として、今も市民生活に息づいています。               

16. しほらしき 名や小松吹 萩薄
    (しほらしき なやこまつふく はぎすすき)

小松(石川県小松)

           ひと・まち・みどりが輝く都市 小松
 小松市は石川県西南部に広がる豊かな加賀平野の中央にあって、産業都市として発展し、一つの都市圏を形成する県下第二の都市です。
 東は霊峰白山がそびえ、すそ野には緑の丘陵地、そして、田園、平野が広がっています。それを縫うように梯川が流れ、西へ豊饒の安宅の海に注いでおり、「緑と水」に恵まれています。         

17. 石山の 石より白し 秋の風
     (いしやまの いしよりしろし あきのかぜ)

那谷寺なたでら(石川県小松市)

          日本海と白山を望む城下町 小松
 小松市には、引く陸の空の玄関「小松空港」があり、東は白山連峰、西は日本海と「緑と水」に恵まれた都市です。産業面では、伝統の九谷焼や絹織物が有名で、全国屈指の織物産地となっております。 また、建設機械・産業機械のコアマツを中心とする機械関連産業も市基幹産業として発展しています。                      

18. 庭掃て 出ばや寺に 散柳
      (にわはきて いでばやてらに ちるやなぎ)

加賀全昌寺(石川県加賀市)

            小さな城下町 大聖寺藩
 加賀百万石と言えば居間の金沢市を中心とした城下町のこと、加賀市は加賀市はその支藩で十万石の大聖寺藩でした。 よく混同されますが、家紋ひとつ見ても両者は違います。
 同じ梅鉢の御紋でも、加賀藩は通称「剣梅鉢」、大聖寺藩は通称「棒梅鉢」と呼ばれ、大聖寺藩の家紋には剣が使用されていません。                  

19. 名月や 北国日和 定なき
      (めいがつや ほっこくびより さだめなき)

敦賀つるが(福井県敦賀市)

           波静かな国際貿易港 敦賀
 天然の良港を有する「まなと町」敦賀は、古くから大陸への玄関口として、また、畿内と北陸とをつなぐ海と陸の要衝として栄えました。 古代には愛発関が置かれ、近代には明治十五年、日本海海側で最初の鉄道が走りました。

20. さびしさや すまに勝たる 浜の秋
    (しびしさや すまにかちたる はまのあき)

色の浜(福井県敦賀市)

                 ようこそ敦賀へ
 色の浜は敦賀半島の北部に位置する小さな魚村だす。
 敦賀は古くから栄えた港町ですが、若狭湾国定公園の一角を占める敦賀湾は、海岸線や海の美しさも格別です。その中でも色の浜は、かの西行法師も歌を残した歌枕の地です。 

 

結. 蛤の ふたみに別 行秋そ
    (はまぐりの ふたみにわかれ ゆきあきそ)

蛤塚・大垣(岐阜県大垣市)

史跡 奥の細道むすびの地
 俳聖松尾芭蕉は、元禄二年(1689)の秋、約5ヵ月の「奥の細道」の旅をここ大垣で終えた。そのおり、芭蕉は「蛤の二見に別行秋そ」と詠んで、水門川の船町港から桑名へ舟で下った。          
奥の細道のたびを終え、この句を大垣で詠みました。 千住で詠んだ出発の句「行く春や・・・」と呼応しています。
長旅の疲れを大垣でいやし、芭蕉は伊勢に向かいます。 旅の終わりは新たな出発でもあります。(大垣市観光協会)

次は「美濃路ー2墨俣宿」へ

美濃路ー1
(大垣宿)へ

美濃路七宿
(目次)へ

美濃路ー2
墨俣宿 へ